幸せとは一体なにか?

日曜日の夕方になると、なんともいえない憂鬱な気分に包まれる。
多くの方が、私と同じような気持ちになっていることではないだろうか。


日本は年間三万人以上の人が自ら命を絶っているというのだからまさに異常と言えるのではないだろうか。日本に生まれたこと自体が不幸の始まりなのかもしれない。生老病死とはよくいったもので、まさに日本という国家にあてはまる言葉ではないだろうか。


朝起きて、満員電車に乗るといつも思うことがある。こんな親父になるために俺は生まれてきたんじゃないって。社会に守られることは安定性という意味においては確かに幸せなのかもしれない。だが、これがおまえの本質的な幸せなのか?と神に質問されれば、俺は「違う」と即答するだろう。



私なりの人生哲学として、人生における最終目標とは、死ぬ際に「幸せ」と思えるか否かであると考えている。どんなに金を持っていようが、学歴を持っていようが、死に際に幸せであると思えないのであれば、生きてきた意味がないと私は思う。


普遍的事実として、どんな人間であってもいつか死ぬことになる。今後、急速に医療技術が発達したと仮定しても、人間の寿命というものはせいぜい100歳前後ではないだろうか。死は怖い。自分の存在がこの世界から消えてしまうからだ。100年という歳月は非常に長い。一体この先、どんな苦しみや悩みが待ち受けているのだろうか。考えるだけでも憂鬱である。


学生時代、宗教にのめり込む人の心理がまったく分からなかった。だが、社会人になり、宗教の良さがなんとなくわかったような気がした。


ようは、なにかを尊ぶことで、心の寂しや虚しさを紛らわしたいのではないだろうか。世の中には理論では割り切れないことがたくさんある、悪い言い方をするのであれば、シャバなんて理不尽の総体で成り立っているようなものだ。努力したものが必ず報われるわけでもない、時には生きる上で運が試されることもあるだろう。


幸せになるためには一体どうしたらよいのだろうか?その答えはまだ見つかっていません。

槇原敬之の「ズル休み」、BUMPの「飴玉の唄」、スピッツの「青い車」・が好きです。さて、明日も頑張ろう。





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